教 訓  
(最終章)


アストロゲイター・作
笛地静恵・訳


----------------------------------



4・大団円



 意識を取り戻した時、ミロは白い場所にいた。

 巨大で厚い、ふかふかの絨毯のようなタオルの上に寝かされていた。
紺青色の水着のシンディーが、すぐ脇に寝そべっていた。

 両肘を付いた手に、顎を乗せていた。
満ち足りたような薄い笑みを口元に浮かべていた。

 彼を悠然と見下ろしていた。


 ミロは大量の水を、口から吐き出していた。
それから、激しく咳き込んでいた。

 自分が冷たい透明な空気を、胸いっぱいに吸い込んでいるのが、分かった。
肺は激しく痛んでいた。 頭痛もした。

 足首は、ひりひりと痛んだ。 しかし、なんとか動いた。 骨折してはいなかった。
一方では、それほどの大怪我をしていないことも分かっていた。 軽い捻挫程度だった。



「気分は、どうかしら。 ミロ?」

「まあ、なんとかね」 と、ミロ。
「ボートは、どこだい?」

 シンディーは、緑の芝生の中のプールの青い水面を指差していた。

「あの底よ」

 そう言った。

「私は、あれをもう二度と、引き上げるつもりはないわよ。 危険過ぎるわ」

 ミロは、タオルの上に座り込んだ。

 水深五十メートルの青い池を眺めていた。

 足首の皮膚を赤く擦り剥いていた。 捻挫をしたように痛む。
火照った足に冷たい手を押し当てていた。

 足首には、ロープがきつく巻き付いているままだった。

 シンディーが一方の端を指先に摘んでいた。

 自分の方に引っ張った。
濡れた糸のように、ぶつりと切れていた。

 もちろん、それは、修理のためにシンディーから借りた、
ほんとうの一本の糸くずでしかなかったのだ。
それが、ヨットの上の彼にとっては、本物のロープのように感じられていたのに過ぎなかった。

 自分の卑小さを、痛いほどに認識させられていた。

 糸クズ一本で死にかけたのだ。


「君が、ぼくの命を助けてくれたんだね。 そうだろ?」

 視線を、シンディーの顔の方に向けて、首を上げていた。

 首の後の筋肉が痛くなるほどに曲げなければ、瞳を合わせられなかった。

 白く滑らかな胸元の皮膚が、視野いっぱいに広がって見えていた。

 シンディーは、大きな顔を動かして肯いていた。

「間一髪だったわ。
私が水中から、あなたを引っ張り上げてあげた時には、もう意識がなかったもの。
たぶん、肺にまで水が入る直前だったと思うわ」


 ミロは、彼女の青く深い瞳を覗き込んでいた。


 どうしてあの瞬間に、飛び込みの練習をする必要があったのだろうか?
無謀な真似をしたのだろうか?

 その意図を探ろうとしていた。
シンディーは、十八歳にしては頭の良い少女だった。

 自分のあの行為が、小さなプールに浮かぶ小さなヨットにとって、
どんなに破滅的な結果を引き起こすか、十分に分かっていたはずなのだ。

 非難の言葉が、舌先まで出掛かっていた。

 それをごくりと、唾とともに飲み込んでいた。


 胃液の苦い味がした。 唇が冷たかった。


 少女の水着の乳房の谷間が、ひどく深く見えた。

 彼の前にそびえるシンディーの体は、山のような大きさだった。



 彼女が気分を悪くするようなことを、言えるわけがなかった。


 シンディーは、ミロを指先で捻り潰すことだって、簡単にできるのだ。

 そして、彼女がそうしようと心に決めれば、彼にはもう何の希望も無い。

 シンディーがそれを実行するのに、2秒も必要としないだろう。







「私は、あなたにとって今度のことが、良い教訓になってくれれば、
いいなと思っているだけなのよ。
ミロ。 わかるでしょ?」



 何を言ってるんだ!! ミロは心の中でそう叫んだ。
だが、それを口にすることはできなかった。


 ミロは、一回深呼吸をしてから、うなずいた。

 感謝の言葉だけを返していた。



「そうだね、僕も、そう思うよ。 助かったよ。 シンディー」






(終わり)






投稿小説のページに行く もどる 【訳者後記】を読む