完全なる人間 (第6章)


機械仕掛けの神・作
笛地静恵・訳


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 数週間というもの、ジェイクは休息をしていた。


 休むというのも,良い経験だ。 そう、考えていた。
来るべき冬のために、準備を整える必要はあったが。

 ハロウィーンのパーティは、楽しい見物だった。
しかし、ばか騒ぎの渦中に、飛び込んでいくような真似はもうしなかった。

 感謝祭も、また、彼を孤独にさせた原因だった。 長くて、淋しい週末だった。
アパートメントは、完全に無人だった。 少女たちは、それぞれの家族の元に帰省していた。

 そして、一年の内で、最悪の季節が迫って来ようとしている。
クリスマス休暇だった。 この家は、ほとんど一ヵ月に渡って、空虚になる。 暖房は落とされる。

 他に暖かいものは何もない。 十分な食料の貯えがあったのは、一昨年のことだったろうか。
昨年は、男どもが帰宅する前に、あやうく餓死するところだった。 

 彼は、食料の備蓄に多忙を極めていた。
魅力的な同居人への訪問の回数も激減していた。

 しかし、今日は、いつもの日課を休むつもりだった。
可愛らしいジェインの机の上に座って、彼女が勉強をするのを眺めていた。 

 ジェインに対しては、何か謝るべきことがあるような負い目があった。
最初に合ったとき、三人の中で、もっとも魅力のない女性のように思えたのだ。

 しかし、徐々に気が付いていった。

 三人の中で、一番まともなのは、彼女なのだ。
おそらく、性格も一番良かった。 美しさについても、再確認していった。

 コバルト・ブルーの瞳が、リサ・ローブの眼鏡の奥で、知的な表情を見せていた。
長い茶色の髪は、後頭部で無造作なポニーテールに束ねられていた。

 大きめのスウェットシャツに、ジーンズを着ていた。 左脚を右脚に重ねていた。
簡単に言って、ごく普通の女子大生だ。 肉感的に過ぎるということもない。

 しかし、彼女に顕著な、その平凡さこそが、
魅力の源泉だった。 

 彼の休暇は、終わりを告げる運命だった。
サンドイッチの残りが、机の上に鎮座ましましていた。

 彼女は、この三十分というもの、触りもしなかった。 もう、安全だろうと、見当を付けた。
敏速にその上に、上っていった。 下側になったパンから、パンくずをすばやく引き千切った。

 一緒に鳥肉の一片も、くすねてきた。
彼と同じぐらいに大きな食料の塊を、机の端まで引きずって行き、そこから床に落とそうとした。 

 やにわに、自分が、フルサイズの身体だった時から、久しく味わったことのない、感覚を覚えた。


 
見られている! 振り向いた。


 コバルトブルーの美しい瞳が、彼が立っている位置から、すっと視線をそらせるのが見えた。

 その場に、凍り付いていた。
パニックに陥っていた。

 彼女は、目の焦点を合わせていたのか?
慥かに、視線を感じた。

 今は、彼の方を見ていなかった。 読書を続けていた。 


 いや、見られたはずはなかった。 彼女は、勉強中なのだ。 想像力が生んだ錯覚だ。 
振り向いて仕事に戻ろうとした。 また感じた。 

 振り向く。 再び青い両眼が、すばやく本の頁の上にすうっと戻っていった。

 表情には、何の変化もなかった。 

 すべては、幻覚なのか。 食物を、机の端から落下させた。
全速力で走って、電気のコードに辿り付いた。 それを、滑って下りていった。

 全速力で、フロアーの板のカヴァーの下に潜り込んだ。 
この全行程が、見られていることに、ありったけの食料を賭けても良かった。  


* * *


 期末試験が修了する日まで、ジェインの部屋には近付かなかった。 

 彼女は、すぐに家に帰るはずだった。
その部屋に残った、食物の滓の最後の一片まで見付けだして、採取するつもりだった。

 出掛けるまで、辛抱強く待っていた。 それから、探索を開始した。 

 あの場所を目指していた。 床の上に、二週間前に食料を落とした、ちょうどその場所だった。
パンくずに、黴が生えているかもしれないが仕方なかった。 それですら、彼の命を支えるに足りた。
黴でさえ、食料の一部だった。 間違っても美味しいといえる味ではなかったが。

 その地点に辿り着いた。 驚愕していた。 


 そこには、彼ならば、たっぷり一年間、生存が可能な量の食料が積まれてあったから。
七面鳥の肉の小さな一片。 ハムが少し。 パンが少し。 指ぬきに一杯の、神よ、ビールがあった!

 それらすべてを凌駕して、すべての上に白銀の雪の寺院のように聳えるものがあった。
白いきらめく砂糖の雪をまぶした、クッキーだった。 


 
ノートが付いていた。 
それを見ながら、全身が悪寒にかかったように、震え出していた。

 ビルの看板の文字よりも、さらにでかかったが。 しかし、筆者が、出来るかぎり小さな文字を
書こうとして、苦労しているのは、文字の緊張した震えから伝わって来た。


 次のように書かれていた。 


@@@@@@@

 親愛なるお友達さんへ。

 私には、あなたがこの文字を読めるのかどうか、分かりません。

 思考力があるのかさえ、分からないのです。
あなたが、本当に存在しているのかも、ちょっと疑っています。
もしかすると、期末試験のストレスから、夢をみただけなのかもしれません。

 でも、もしも、現実に存在していて、この文字が読めるのならば、
私のことを恐れる必要はなにもないということを、理解してもらいたいと思っています。

 お友達になりたいのです。 

 私たちが帰ってくるまで、生活できるように、食べ物をいくらか置いておきます。
私たちのテーブルから落ちた食べかすとか、何かそんなもので生活しているのではないかと、想像しています。

 何日か前に、サンドイッチの一部を、机の上から運んでいましたよね。
あれを見て、そう考えました。
そうすると。 今月、私たちがいなくなってからの生活は、ひどく厳しいものになるのに違いありません。

 これが、いくらかでも、助けになればと思っています。 
戻って来たら、あなたと正式に、お付き合いしたいと思います。

 私と知り合いたいと思ってくれると、良いのですが。
どう考えるにせよ、私の方は、そうしたいと望んでいます。

 小さなお友達さんへ。 メリークリスマス。 そして、良いお年を。 

 愛をこめて。 

 ジェイン・マシュー

 追伸:クッキーは、私が自分で焼いたものなんですよ。
                            


@@@@@@@



 ジェイクはノートを読み終えた。

 もう一度読んだ。

 そして、もう一回。


 数分後、彼はようやく息を吐いた。 
午後も遅かった。 少女たちは、全員クリスマスに出払っている。 


 彼は、地下室の暖房が、自動的に入る音を耳にした。 


* * *


 次の月は、苦痛と恍惚が、ないまぜになったものだった。
恍惚は、自分が待望していた食料のすべてを、手中にしたことから来るものだった。

 ここ数年に口にした、最高の味のクッキーが、その頂点に君臨していた。

 苦痛の方は、来るべき未来に対する恐怖だった。

 彼女は、良い性格の女性らしい。 素敵に行動していた。
彼のために、なんとクッキーさえ焼いてくれたのだった。
実においしいクッキーだった!

 彼女は、彼の存在を知っている。

 会いたいと思っている。

 彼に!

 そして、どうしようもなく、どうしようもなく、彼女と付き合いたかった。
おしゃべりをしたかった。 声を上げて笑いたかった。

 冗談を言い、泣き、一緒にいたかった。


 しかし、彼の心は、最後の「彼女」の記憶に、かき乱されるのだった。 


* * *


「CIAのために、働いてくれるつもりはないかね、君?」

 あの大佐、ミッチェル M大佐。
通称「ミッチ」マイケルソン大佐(USMC)は、ジェイクの肉体の分子構造が安定している時には、
実に理想的な男性としての容姿を、備えているように見えていた。

 身長百九十センチメートル。 体重は、引き締まった筋肉質の体型で、百五十キログラムあった。
相撲の土俵で、熊と相撲を取ったという堂々たる体格をしていた。 彼を取り巻く伝説の一つだった。

 ジェイクは、そのころには、百五十五センチメートルを切る身長しかなかった。

 まだ
縮小の途中だった。

 彼は沈黙を守って、五年間付き合ってきたガールフレンドの隣に座っていた。
デボラ・ジャクソンと言った。 彼女ですら、彼よりも五センチも高い長身になっていた。

「ジェイク、これは大きなチャンスよ。 分かるでしょ。 あなたは、ここに留まるべきなのよ。
彼等にテストをしてもらいなさいよ」

「デビー、君にもこの全計画が、どんな性格のものなのか分かっているはずだ。
研究所は、隙があれば、実験動物の猿のオカマを掘ろうとしている科学者達の集まりだ。
奴らを信用できると、本気で考えているのかい?」

「ジェイク、あなたは、わたしを信じてくれないの?」

「もし、君があの光線を照射された、当の本人だとしたら、ミッチを信じられるかい?」

「さあ、君。 君のガールフレンドの忠告に、冷静になって耳を傾けたまえ。
なぜなら、彼女は、君を愛しているからだ。
君は、彼女を待ち受ける苛酷な運命を、回避できる岐路に立っているのだよ……」

「そうよ、ジェイク。 大佐の提案は正しいわ……」

 彼は立ち上がった。 身長は145センチしかなかった。
大佐とガールフレンドは、彼を挟み込むように、両側からずんずんと迫って来た。 

「このことを、公にはできないわ。 パニックを、考えてみてちょうだい」
 デビーは、かすかな笑みさえ浮かべていた。 

 彼女の笑顔が醜いなんて、それまで一度だって考えたこともなかった。

 彼は、彼等の前から逃げ出した。 二人をびっくりさせていた。
二人が、研究所の警備員に、異口同音の命令を発する前に、窓を破って逃げ出していた。

 三階真下の地面に、激突していた。
彼は、ずしんと跳ね返りはしたが、何の傷も負ってはいなかった。

 全速力で逃亡した。

 すでに、
に近いまでに縮小していた。

 しかし、自由だった。


* * *


 ジュリーが、最初に戻ってきた。 

「ええ、これって何なの。 何で熱いのよ。
ジェインが、暖房室のメイン・スイッチを切るのを忘れたんだわ。
いいわ、この分の費用は、彼女に負担してもらいましょ」

 暖かい家の中に入ってきながら、彼女はそうつぶやいていた。
以前と同じように可愛らしかった。
けれども、休暇の期間、手入れを怠っていた金髪には、あの艶がなくなっていた。

 彼女の判断は承服できない。 ジェイクを怒らせていた。 責任は自分にあるのだから。
彼は、リヴィング・ルームの入り口から、見守っていた。

 ケイトが次の番だった。 肉体の線に、妙になまめかしい色気が漂っていた。
彼は、休暇中にリンゼイを訪問していたのに違いないと想像していた。
それは、慥かに素晴らしい旅行であったに違いない。

 ジェインは、最後に到着した。 彼女はいつもとは、まったく異なり、品の良いおしゃれをしていた。
短い灰色のスカートに、それよりやや暗い灰色のタイツを履いていた。

 乳房の線を素敵に見せる、肌にぴったりとした青いトップを着ていた。
髪は、肩の長さに切り揃えられていた。

 実に
ファンタスティックだった。  

 彼は、自分の行動が正しいものであったと、祈らずにはいられなかった。
困難な決定だった。 だが、自分の自由の国を放棄することは、出来なかった。


 相手が誰であってもだ。 


* * *


 ジェインは、まっすぐに自室に向かった。 あの区域を探るように調べた。

 残しておいた食べ物を、何かが持っていったのは明らかだった。
クッキーには、小さいがあきらかに、一部が取られた凹があった。

 しかし、手紙の紙を引っ繰り返して見たときには、息を呑んでいた。
鉛筆の芯で、紙をひっかいたような跡があった。

 ちっぽけなちっぽけな文字だった。

 一語だけが、書かれていた。 


「ありがとう」



 彼は、自由の国を放棄するつもりはなかった。
しかし、篤く庇護してくれた人の、良き行為に、感謝の気持ちを表現せずには、いられなかったのだ。


* * *


 三日間は長かった。 彼は、彼女を観察していた。

 毎日、彼女は、学校へ行く前に、わずかの食べ物を床に置いておいた。
毎日、彼はそれを取りに通った。 罠とか、態度に変化がないかを、注意していた。

 彼を捕まえようとしている、何かの兆候はないか?
しかし、何の証拠も出なかった。 ただ彼を養おうとする、熱意のみが感じられた。


 土曜日の午後。 彼は、この機会に賭けた。
彼女のベッドに登っていった。 それから、枕元まで、五百メートルの旅をした。

 枕の高原に登頂した後、白く清潔な台地の上で彼女の帰宅を待った。
彼女は、午後十二時半にはもう帰宅していた。 疲れているように見えた。

 一言もしゃべらずに、完全に衣服を脱いだ。 全身を露にしていた。
それは、ジュリーのような、成熟した肉感的な女らしい体格ではなかった。

 リンゼイの引き締まった、運動選手の体型とも異なっていた。

 長身のケイトの、アマゾン族の女神のそれでもなかった。

 妹のターニャの、十代の可愛らしい幼さの残る体形でもなかった。 

 彼女は、未完成の体格をしていた。 お尻は、ちょっと横幅が広すぎた。
乳房は、形が良く引き締まっていたが、Bカップよりも大きいということはなかった。

 どこといって、異常なところはなかった。 ことさら、太りすぎてもいない。
まだ女性として完成していないのだった。
はっきり言って、ここに来てから出会った少女たちの中でも、もっとも発展途上で未完成の肉体だった。

 そうは言っても、彼女には生まれついての気品があった。 あでやかだった。
さらに言えば、すべての少女たちの中で、もっとも魅力的だった。 

 明るい色のフランネルの上着と、パンツを履いた。
読書用の手元の照明を付けた後で、部屋の明かりを消した。

 ベッドに身体を滑り込ませて来た。 すぐに、枕に頭部を凭れ掛けてきた。 

 彼女に登頂を開始した。
茶色い髪を、一掴み手に握り締めた。 全力でゴール地点を目指した。

 これが旨く行ったとして、次に何をするべきか、何の予定も立ってはいなかった。

 恐れていたのは、仮にこうしたとしても、彼があまりに小さすぎて、
ゴールに到達すらできないのではないかということだった。

 しかし、やらねばならなかった。

 二分間で、彼女の耳に到達した。 肉の表面の凹凸を跳躍していった。

 耳の穴の洞窟によじ登っていった。

 真横になった彼女の、天井を向いた耳だった。 

 彼は、ちょっとの間方向感覚を失っていた。 しかし、すぐにそれを取り戻した。
その時には、洞窟の底までころころと落ち込んでいた。 しかし、此の方が良かった。


 理想的な地点だった。 深呼吸をした。 それから、腹に力をこめて叫んだ。 

(ジェイン!)

 世界が、いきなりジェット戦闘機の操縦席のように、激烈な旋回をした。
彼は何が起きているのかと考えながら、彼女の耳の洞窟の奥で、ゆっくりと身を起こそうとしていた。

 たぶん彼女が、稲妻に打たれたように、上半身を起こしたのだろう。 結構だ。
情況が、垂直から水平に変化したとしても、このまま旨く対応していけるだろう。 

 全方位から、大きな声が答えた。 

「だれ? 何? あなたは、どこにいるの?」

(ぼくだ。 ジェイン。 君が、助けた、小人だ)
 彼は、叫んでいた。 

「ああ、神様」
 彼女は、祈りをささやくような小さな声で言った。 
「あなたは、本当にいたのね。 今、どこにいるのかしら?」

(君の、右の、耳の、中だ。君には、ぼくの、声が、良く、聞こえるか?出来るかぎり、大声で、叫んでる)

「そんなに大声で、話す必要はないわ。
もっと、小さな声で話してくれても、良く聞こえると思うわ。 たぶん」


(それは、良かった)
 彼は答えた。 
(ぼくの声は、とても小さい。 このままでは、喉頭炎を起こすところだった)

 彼女は、声に出して笑った。
雷鳴が轟くような音が、周囲の空間にこだまして、彼を揺さ振った。

 彼が他の人間と会話をしてから、長い年月が経過していた。

「さてと、私のお友達さん。
あなたは、私の名前を知っていても、私はあなたの名前を知らないのよ」


(ああ、すまない。 ぼくの名前は、ジェイクだ)

「それじゃ、ジェイク。 あなたがどうやって、そこに入ったのか、教えてちょうだい。 ぜひ知りたいのよ」

 それで、彼はすべての物語を語って聞かせた。
ジェインが、彼の話を止めるのを待ちわびながら。

 「彼女」が、政府の職員であったこと。
ガールフレンドは、彼をはめるために派遣されていた、スパイであったこと。

 そんなことを、話すつもりはなかった。

 しかし、ジェインは話の腰を折らなかった。
ただ耳を澄ましていた。 最後に、自分自身のコメントを述べた。

「ひどいわ。 そんな風に、自分のボーイフレンドを、
罠にはめるような女がいるなんて信じられない」


(ぼくにも、彼女がそんな風に考えていたなんて、最後まで分からなかったんだよ)
(彼女は、自分が正しいことをしていると、信じていたんだと思うよ。
 でも、もしあれが、君だったら……)

「それについては、もうよしましょ。 それより、どうやって、
そこに入ったのか、教えてちょうだい……」


 それで、彼は男どもについて語った。
少女たちが帰宅するまでの、ひとりぼっちで、とり残されるのじゃないかという恐怖について。

 少女たちを観察していたことも、簡略に告白した。
あまりにも過激な、細部に立ち入ることは避けた。
見聞きしたことを、日常生活の範囲内で、正直に報告していた。

「それは、あなたにとって、さぞかし禁欲的な生活だったに違いないわ。
ジュリーや、ケイトのように美しい女達と、一緒の家に住むというのはね。
ジュリーは、セックスの鬼だし、ケイトは、私の推測だけど、レスビアンよ。
でも、男たちは、彼女達に夢中なの。 真実は、神のみぞ知るっていう所だわ。
あなたは、私の妹にも会ったようね。 彼女は、とっても可愛いでしょ。
さぞかし欲求不満に陥る生活だったと思うわ」


(君は、自分のことを忘れているよ)

 また笑い声がした。 今度は、何か不確かなものがあった。 前よりも、悲しみが篭もっていた。

「私は、自分が彼女たちのチームのメンバーにはなれないと、分かっているのよ。
 ジェイク。 でも、そう言ってくれてありがとう」


(ぼくは、お世辞を言っているんじゃない。 君は、彼女たちの中で、一番可愛いじゃないか。
ぼくは、すっかり降参だよ)

「友人達の中で、私が一番可愛いって言ってくれたのは、あなたが初めてよ。
ありがとう。 ジェイク」


 彼女は、間を開けた。
「教えてちょうだい。 あなたは、私の部屋に、アパートメントを造ってもらいたいかしら?
食事は、用意してあげる。 毎晩、こうしてお話ができるわよ」



 彼はそうしたかった。

 熱烈にそうしたかった。

 しかし、まだ時が必要だった。 
(ぼくにも、家はあるんだ。 でも、君と、おしゃべりをしに来ても、良いだろうか?」

「もちろんよ」
 彼女は、声に失望を表現しないようにと、苦労していた。
「もちろんですとも!教えて、ジャイク。 あなたを、家まで送り届けても良いかしら?」


 彼には、それができないことが、分かっていた。
自主独立を脅かしてしまうことだった。 話すつもりはなかった。

 それだけは、もう決めていた。

 だが、そうする代わりに、彼はこう言った。 
(お願いするよ。 ありがとう)

 彼女にリヴィング・ルームの壁の一点を指示した。 それは、家に続く入り口の一つだった。
彼女が、耳の穴に指を伸ばして来た。



 入り口に、短くて白い爪の、マニキュアも塗っていないきれいな人差し指が、待っていた。



 彼はその上に、おそるおそる乗っていた。







 彼女は、注意しながら、ゆっくりと、それを顔の前に、動かしていった。
彼女の美しい素顔が、全天いっぱいを満たしていた。

 大きな笑みを浮かべていた。

「さようなら、ジェイク。 また会いましょうね!」

 彼女は、彼を下ろしていった。

 それから、いきなり指先の方向を変えると、唇に押し当てた。 限りなく優しく。

 しかし、もっとも小さいキスの衝撃にさえ、ノックダウンさせられていた。 

 彼女は、床の上に戻してくれた。 彼も、両手を大きく振って、さよならをした。

 壁の板に開いた、穴の方に歩いていった。



 振り向くと、ジェインの巨大な
素足が、踵を向けて、自室の方に向かって歩いていくところだった。 



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完全なる人間
第6章・完



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