戦争ごっこ

                    ヘディン・著
                    笛地静恵・訳

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2・青いビーチ=サンダル

「ねえ、ルーシー!」
 声の稲妻が、彼らの鼓膜に突き破られるような痛みを与えながら、いきなり轟いていた。
「ここには、誰もいないし、誰も、あたしたちのことを見ていないわ。日焼けで水着の痕が肌についちゃう。いっそのこと。全部、脱いじゃいましょうよ!」

 
あの強大な肉体が動きだした。




 ビーチ=サンダルが見えなくなっていた。地面は、彼女たちの動きにつれて、絶え間なく鳴動していた。巨大な地響きのような衣擦れの音を、伝えていた。

 彼女たちにとっては、小さな布切れが身体から取られる音だった。 最後に青い影が、彼らの頭上を飛行していった。およそ五百メートル程、後方の地点に墜落していた。衝撃波が、地面を伝わってきた。


 興味深いアロマが、匂ってきた。ビキニの上下のどちらが、そこに着陸したのか。男達に明白な形で、宣伝していた。

 膝頭山脈(そうハンクは命名していたが)は、以前よりも、さらにさらに高く聳えた。次の三十分間というもの、女たちの肉体は、草の向こうに高速道路のように、存在を大きくより大きく主張していった。行軍の間、見るものと言えば、それしかなかったのだ。

 強大な力を秘めた乳房から、股間の地帯までが徐々に視界に入ってきた。異星の山岳地帯の未知な森林を、展望しているような気分だった。下半身に、足元の方向から接近していたのだった。

 ビリーは、行進のしんがりを勤めていた。いつもの物思いに耽っていた。少女たちとコンタクトを取るという以外に、いかなる可能性も思いつかなった。しかし、同様に、こんな考えも及ばないような、雄大なサイズの二つの肉体に接近していくということが、どんなに無謀な行動なのかということも、身に染みて分かってきたのだった。

 ビリーにとって明らかになってきたのは、たとえ彼女たちの身体から落ちる、抜け毛の一本でさえ、今の自分たちにとっては、地面に激突する大木の一本に等しいという事実だった。彼の見るかぎりでは、そうした事態に警戒するような様子が、グレッグには微塵も見られないということだった。

 ビリーは非常事態の際に、彼らが隠れられことがきでるような地面の穴のような場所はないかと、ずっと探していた。しかし、少なくとも、過去五分間というもの、そのような場所は、どこにも見つからなかった。

 勇敢なグレッグは、そうではないようだが、臆病なビリーは、恐怖を胃の中の固い石のように、現実的な重みとして我が身に感じていた。一秒ごとに、彼女たちの何気ない些細な動きが、彼らの生命を終わらせる可能性のある地帯に、踏み込んでいくのだった。



 すべてが、彼らの存在を地上から、きれいに消滅させる可能性を秘めていた。彼らに近い方の女巨人が、両脚をもう少し広げようとしたり、右膝を地面に下ろそうかとしただけで、それは起こり得る。もう一人ついてもそうだ。もしも、地面に寝転がりでもしたら。

 しかし、そのようなことは、何も起こらなかった。聞こえるものと言えば、二人の巨人女の、安らかな睡眠を示す呼吸音だけだった。

 ついに芝生の草が、混沌の惨状を呈して、ぐしゃぐしゃに絡み合った地域に到達してしまっていた。

 草は、あるいは引き裂かれ、あるいは切断され、あるいは破壊されていた。これ以上の進軍が不可能な状況だった。
「彼女が、たぶんこの辺りの草が、平らになるように踏み潰したんだな。つまり、もうだいぶ彼女に近い距離にまで、接近しているということになる」
 グレッグが、そう事態を分析していた。

 ビリーの恐怖心は、彼を嘔吐させていた。しかし、彼は列の最後尾にいたし、みんなは一種の性的な狂騒状態になっていた。眼前に展開する刺激的な光景に、性的に興奮しているのだ。それに、気が付いてさえいなかった。

 暑い日だった。巨大な少女たちは、全裸の身体に汗もかいているだろう。その他の体液も、大量に分泌されていることだろう。大気中には、若い少女に特有の、男を誘うフェロモンに満ちた甘い匂いが、充満していた。なぜ、みんな、そのことについて、一言もしゃべらないのだろうか。明らかに催淫的な効果を、彼らの心身に及ぼしているはずなのに。

 それから実際のところ、ビリーにとっても突然に、眼前に青い壁が聳えていた。進路が遮断されていた。物体の表面は、見るからに異星の物のような異様な外観を呈していた。
「こいつは、あのビーチ=サンダルの端っこのようだな」
 グレッグが、言う必要もない事実を口にしていた。

 みんなが、その青い物体を見つめていた。彼らは、その異様な外見に魅了されているような振りをしていた。けれども、実際には、それが内部に気泡を入れたままで固まった、ゴムに過ぎないことが分かっていたのだ。

 ビリーだけが、地面の状態を観察していた。巨大な質量が、このあたりの地面を、周囲よりも沈下させているという事実だった。同時に、下になった土を圧迫していた。靴の周囲に、土砂を盛り上げていったのである。

 確実ではなかったけれども、彼らが今立っている地面は、一メートル二十センチぐらいは、周囲の土地よりも下降していることだろう。壮大な環境の変化を、引き起こした元凶が、彼らの正面に立ちはだかるサンダルの、強大な圧力だったのだ。

 
女巨人の肉体の足という、ほんの一部分の質量が掛かっているだけで、この大変化だった。どの部分だって、彼らが対応するには、不可能な巨大さだった。

 青い壁の周囲を観察していった。遥か彼方、ビーチ=サンダルの爪先の方角に目をやっていた。そこでは、靴底が地面から、他よりもさらに高い位置にまで、盛り上がっていた。

 こうなった原因は、踵にかかった重量を受けとめた足元の地面が沈下し、それ自体の弾力によって反発するとともに、靴のゴムの素材が、爪先の方では、より体重の圧迫が少なくなるので、上方に伸び上がるようにして体積を増しているためなのだろう。今、眺めている光景が、彼の全身を、おこりにかかったように震わせていた。

 彼はビーチ=サンダルというものの性質については、自分でも海岸などで履いたことがあるので、よく知っていた。靴底が、たいてい滑らかなゴムであることも、知識の内にあった。しかし、ある種のものは、爪先と踵の部分に、固い当て物が貼ってある。固い地面を踏んだ際に、ゴムが磨耗するのを防ぐような工夫がなされている。こいつは、そのような凶悪な種類の一足だった。

 ビリーを恐れさせているのは、今、眼前にある、その当て物の模様のサイズだった。当て物の鋸の歯の形は、深いところでは二メートル以上あった。強靭な刻印を、大地に刻んでいた。ここに揮われた力の強大さの、余りある証明だった。

 ビリーは、ビーチ=サンダルの靴底の壁面を見上げながら、それが二十メートル以上の高度にまで達していることを、目測だけで判断していた。

 ビルにすれば、六階建ての高さということになる……。厚みだけで、これだけの巨大さがあるのだ。彼は口内に溢れてきた胃液の苦さを、舌に感じていた。

 けれども、グレッグの方はと言えば、そのような不安など、何も感じていないように、元気に振る舞っていた。あまつさえ、彼は靴底に歩いていって、登頂を開始していた。ゴムの表面の気泡の痕が、またとないような手掛かりと足掛かりを作っていた。ちょうど良いサイズだった。

 他の者達は、彼が登っていく姿を、もっとよく見ようと、後に下がっていた。彼は急速に高度を稼いでいた。約五メートル毎に一回、小休止を取っていた。時には、ナイフが表面の泡を、削り落としたような平坦な場所があった。固くて滑らかな表面があるだけだった。そういう所は、迂回しなければならなかった。単に直線距離の登頂よりも、多くの時間がかかった。

 やがてビリーの悪い予感が、現実になる時が来た。その時には、グレッグは、十五メートルぐらいの高さに到達していた。

 ただの少女のため息だった。それなのに、まるで雷鳴のように、大気を貫いて轟き渡っていた。ビーチ=サンダルは、上下に大きく揺れた。急激な速度で、彼らから見て後方に退いていった。

 すでに最初の暴力的な動きだけで、グレッグは手掛かりから指を滑らせていた。それから動く壁が、彼を跳ね飛ばした。カタパルトの台から発射された、人間ロケットのようだった。哀れな悲鳴を上げながら、勇敢な男は友人たちの頭上を飛行していった。

 上空の遥か高み。邪悪なまでに巨大なビーチ=サンダル。それが、素足から脱げていく。物凄い光景を、ビリーは目撃していた。まるで今にも、彼らの上に落下しようとするようだった。しかし。上空に静止していた。後方に動いていた。
 青いビーチ=サンダルは踵に近い場所から、爪先の順番に地面に着地していた。

         *

 ドカーン!
 グレッグの冒険行を目で追い掛けていた者達は、事件の起こった瞬間に、彼の行方を見失っていた。それというのも、誰も彼も、まるでテーブルの上のサイコロのように、転がされていたからである。

「ワアオ!こいつは、ディズニー・ランドのローラー・コースターなんかよりも、何倍も刺激的だぜ!」
 ハンクは、立ち上がりながら声に出して笑っていた。

 まだビル以外の誰も、命懸けの危険の存在に、気が付いていないのだった。彼に考えられたのは、着地した素足の下になって、バキバキと破壊されていく植物の、叫び声のような物音だけだった。

 何人かが、グレッグがどこにいるのかと、悪態の言葉をつぶやいていた。
「なんてこったい!」
「やってらんないぜ!」
 そんな無責任な声が、さらに、いくつか聞こえた。

 その直後に、グレッグが、何本かの引き裂かれた草の幹の間から、這い出てきたのだった。彼は唇を切って血を流していた。右手の指を、左手で擦るようにしていた。しかし、他にはどこも傷ついたような様子を見せてはいなかった。

「くそっ!!」 大声で叫んでいた。
「早く、あそこに行こうゼ!この女に、何のつもりで俺様に、こんな悪ふざけをするのか、ちょっと文句を言ってやらんと、腹の虫がおさまらん!少なくとも、もうビーチ=サンダルを登山する必要は、ないようだからな!」

 そう言いながら、彼は強大な力を秘めた、素足の爪先の方角に向かって走りだしていた。足の指は、今ではビーチ=サンダルサンダルの踵の背後に三十メートル程の高さに、盛り上がっていた。あそこまでは、なお四百メートル以上の距離があった。サンダルを迂回する必要があった。

 グレッグはペース・ダウンして早足の状態になっていた。しかし、誰よりも早く、あそこに付きたいという意欲は衰えを見せなかった。

 ビリーには、分かっていた。グレッグは、どこにでもある、ありふれた女の子のビーチ=サンダルに跳ねとばされて落下した。道化師のように思えて、屈辱感を覚えているのだろう。彼は、オトコとしての自尊心を傷つけられたのだ。

 グレッグは爪先に近接した場所に到達していても、たったいま強大な足によって踏み潰され、折れて倒れた草の葉の大群衆に周りを囲まれていた。なんとか抜け出そうと苦闘していた。そのために、他の者達にも徐々にだが、彼に接近していく時間的な余裕が与えられていた。

 とうとうグレッグは、足の小指が大地に触れている地帯に到達していた。指の側面からの方向だった。残りの者達と彼の距離は、まだ三十メートル以上はあった。グレッグは仲間達を振り返っていた。彼は目に見えて、怒り狂っていた。

 仲間たちは、平らに折り重なった草のカオスの上に登ろうとして苦心していた。ちょうどその時。彼はくるりと向きを変えた。内心の怒りのすべてをこめた叫び声を上げていた。

 爪先に駆け寄っていた。

 
全力をこめて、それを蹴り飛ばしたのである。



 ビリーには信じられない光景だった。さきほど彼ら全員に対して、女たちへの怒りの気持ちを表現してはならないと、賢明な忠告をしてくれたのは、どこの誰だっただろうか?

 今では、グレッグが、愚かな行為を自分から演じていた。そのために高い代価を、支払わなければならなかったのである。

 たぶん、それすらも、もうひとつの何気ない動きにしか、過ぎなかったのだろう。もしかすると、彼は女の固い皮膚を透過して、神経に刺激を与えるという、不可能に思える難事を、その足のキックによって成し遂げることができたのかもしれない。真相は誰にも分からない。

 ともあれ、巨大な爪先がいきなり動いたのだ。空中、三十メートルあたりにまで急速に上昇していった。それは全身で伸びをするように、大地から持ち上げられていった。 その過程でグレッグは、皮膚の強靭な壁に衝突した。

 
背後には、数千トンの肉があった。

 ビルはグレッグの身体が、嫌な音を立てるのを聞いた。それから、地面に墜落するのを見たのだった。彼の口からは、苦痛のあまりの苦悶の叫び声が、迸っていた。しかし、それすらも、彼の上にリラックスするように伸し掛かっていった、小指の爪先の巨大な重量の下になって遮られて、聞こえなくなっていった。

 グレッグの身体が、「びちゃりっ!」とつぶれる嫌な音がしたのかもしれない。しかし、それも、彼女の爪先が、新たに安住の地を見いだして、そこに落ち着くときの、重々しい「どしーん!」という大きな地響きに紛れてしまっていた。

 ビリーだけが、それに続く地震に対して、心構えができていた。彼女の足の全体が、地面に着地する時の振動と比較すれば、それは小さなものだった。彼は両足で、その場所に立っていることすらできた。

 そのために、ビリーは、グレッグの頭部が、彼女の足の小指の爪先の、指紋の深い溝の間に、なお固く埋まっている光景を、見てしまったのだった。ぐちゃぐちゃに潰れたグレッグの赤い肉塊に、半分埋まっていた。折れた骨の一本が白く突き立っていた。

 次の瞬間、恐るべき轟音が発生していた。ビリーは足が持ち上がることなく、地面を滑ってくる光景を眺めていた。グレッグの頭部が動きに伴って、ぼん!空中高くに、捻り出されたように見えた。

 十五メートルぐらいは舞い上がっただろうか。しかし、それが限界だった。急速に、初発の勢いを失っていた。頭蓋骨が破裂したからだ。ばらばらになって、再び地面に落下していった。

 その上に、足が移動してきた。グレッグのすべてが無に帰した。さらにまだ十五メートルぐらいの、ビルの耳を突き刺すような痛みを伴う轟音とともに、移動が継続されていた。

 五本の爪先の全部が、空中高くに上昇した。ビーチ=サンダルの踵の部分を、器用に指の間に挟むようにした。ビリーは、このすべての作業を遂行している、強大な筋肉の力に戦慄していた。

 同時に、それが女の子の、本当に何気ない、日常的な動作のひとつに過ぎないことも痛いほどに感じていた。彼には、こんな光景を見た記憶があった。しかし、ともあれ、今の彼にとっては、ありえないような強大な力の行使だった。

 指の力は、ビーチ=サンダルを六十メートルの高度に持ち上げていった。百五十メートルに達した。とうとう二百四十メートルの高度の辺りか。そこに静止したのだった。

 おかしな音がした。 指先が、ビーチ=サンダルからついに滑って外れた。ビルにも、強大な靴が落下してくる光景を眺めているしか、できることはなかった。
 続く雷の直撃のような衝撃がった。ひたすら驚愕し、恐怖していた。 もちろん彼にも続く大地震に対しては、何の準備もできなかった。ただ地面に倒れ伏すことだけだった。

                 *

 他の仲間と同じように、ビリーもしばらくの間、失神していたらしかった。ようやく起き上がっていた。

 お互いの行方を求めて、捜し回った。無線機が活躍した。グレッグについても同様だった。彼だけは、何の連絡もなかった。

 しかし、グレッグが踏み潰されたのだと気が付いている者は、他には誰もいなかった。前のように、どこか遠くに跳ね飛ばされたのだろう。奇妙に楽観的に考えていた。ただ前よりも少し遠くで、帰還に手間取っているのだろう。あの衝撃では、無線機も故障したのに違いない。

 ビリーだけが、他の者よりも真相に近付いていた。しかし、あえて仲間に語ろうとも思わなかった。

 
女巨人が、その爪先の強大な力を誇示して、自惚れた男たちの自尊心を破壊するような行為を、なぜもう一度、繰り返してくれないのだろうか。そのことだけが、不可解に思えてならなかったのだ。

戦争ごっこ

2・青いビーチ=サンダル 了


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