ウェンディ物語 【訳者後記】


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 シャドー氏の『ウェンディ物語』は、少女の怒りの水晶のような輝きが眩い力作です。

 ウェンディ、ビヴァリー、ジュディの三人組は、だいたい十五、六歳ぐらいです。
日本ならば中学三年生です。
肉体的にも性的にも大人である高校生の上級生達から、いじめを受けていました。

 性的には未熟な、思春期の少女たちの怒りが、はけ口を見付けて爆発します。
三人の通う学校と小さな町に、未曽有の大災害が降り掛かります。

 シュリンカー小説からGTS小説へ、作者の想像力も巨大化していきます。

 シュリンカー小説には、それなりの魅惑と恐怖があります。
しかし、結局は、二人の人間だけの閉ざされた世界なのです。

 作者は、それだけでは満足できなかったのではないでしょうか。
笛地にも同じ思いがあるので、GTS小説に展開していった意図は、わかるような気がします。

 残酷な物語の背景に、校内暴力、SEXの低年齢化、家庭内暴力、家庭崩壊、アルコール依存症、
教師の痴漢行為等々の、アメリカの抱える深刻な問題が透けて見えて来ます。

 もちろん、アメリカ人も荒唐無稽のポルノ小説として消費しています。
にも関わらず、自然なメッセージ性を持ち得るところが学ぶべき点だと思います。

 スコット・グリルドリグにも、機械仕掛けの神にもそれがあります。
作品にリアリティとスケールの大きさを付与しています。

 題名からも、この作品はジェームス・バリの『ピータ・パン』を基本にしているのことがわかります。
パロディのどぎつさは、ほとんどありません。 単に物語の枠として、設定を拝借しているだけでしょう。

 こちらのウェンディも、ピータパンとティンカー・ベルを仲間にします。
海賊のフック船長をはじめとする悪者達を退治します。
ある学校と都市が、彼女たちにとってのネヴァーランドです。

 しかし、夢が終わってしまえば、お母さんにお尻をぺんぺんされる小さな子どもでしかありません。

 なお、あるアメリカのGTS小説のファンからの情報があります。
作者は、この作品を執筆する直前に、近親者を過失による事故で亡くされているとのことでした。
作品に漂う異様なまでの怒りの暗さに、照明を当てるエピソードだと思うので、未確認ですが紹介しておきます。

 終幕では、笛地は映画『ミクロ・キッズ2(ジャイアント・ベイビー)』を連想していました。
どこの国でも「母は強し」なのでしょうか。凄まじいグローイングが、この強烈な物語を見事に締め括ります。

 シャドー氏は、本質的には、あのスコット・グリルドリグにさえ匹敵する才能がある人のように思われます。
ただ残念なことに作品の数が、それほど多い方ではありません。

 文章に描写の不足があります。特に日本の読者には、分かりにくい部分があると思いました。
アメリカ人の学生生活の細部を中心に、加筆した部分があります。予め、お断わりしておきます。



 物語そのものの迫力は、圧倒的です。 貴重な逸品を、お楽しみください。 (笛地静恵)




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