《 神仙奇談の書 山の怪異 》


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 神仙奇談・・・、それは「人の理解を超えた超自然の存在」を記した古典である。
 本日はその中から一説を紹介したいと思う。

 江戸時代中ごろ、木曾の国に中村伝衛門という男がいた。 伝衛門は先代よりの材木の売買にて多くの富をなし、領主から名字帯刀を許される程の豪農であった。

 さて明暦八年ごろ、江戸に大火が起こり材木の価格が高騰した。

 この時、伝衛門は齢六十八歳と高齢であったがまだまだ意気盛んで、もっと金を儲けたいと望んでいた。 それで彼は「山の神」が住むと言われている霊山の木まで切って売ろうと考えた。

 伝衛門は村役人の許しをもらい土地の古老が止めるのも聞かず、山の木々の様子を調べるために、共の者を一人つれ霊山へと登った。

 伝衛門は高齢であったが足腰はまだ丈夫で、ここの木を切れば何両で売れるだろうと銭勘定をしながら、さらに山奥へと入っていった。

 そのうちに伝衛門は山水が流れる滝の前にたどり着いた。 そこは彼が今までに見たこともない美しい場所だった。

 その時、伝衛門は土地の古老たちの言葉を思い出した。
「御山の木を切れば山の神様がお怒りになる・・・。」
そこは山の神がいるのではないかと思うほど神秘的な場所だった。

 伝衛門は少し不安になったのだが従者と共に岩の上に立ち、自分を勇気づけるために叫んだ。

「山の神とやら、聞こえるか! 江戸で大勢の人が家を焼かれて困っているのだ。 だから俺は人助けのために、この山の木を切る、文句はあるまい。 何か言いたいことがあったら、ここへ出て来い!」


 すると、いきなり、滝つぼの中から
巨大な姫さまが現れた。



 伝衛門と従者は腰をぬかして驚いた。

 
巨大山姫様は、とても大きかったのだ。

 不思議なことに、滝の中から出てきたのに山姫様の衣服は少しも濡れていなかった。 山姫様が凄まじい霊力を持っているのは間違いない。

 姫様はただ微笑みながら伝衛門たちを見下ろしていた。

 何処をどう走ったのかも覚えていない。 伝衛門と従者は命からがら村へと逃げ帰って、そのまま二人とも寝込んでしまった。

 霊山の木を切ろうと考えていた他の材木商たちもその変事を聞いたのだが、どうにも事実とは信じられなかった。

 しかし山には何かがいるような気もする。 念のため村役人に願い出て検分してもらうことにした。

 もろもろの手続きをへて数日後、役人十人、材木商七人、鉄砲を持った猟師五人、木こりや人足二十人ばかりで山道を登っていった。

 中腹あたりまで来たとき山鳴りが轟き地が鳴動して、一同は大いに驚き一歩も前に進めなくなった。

 そのうちに、森の中を何か大きなものが歩いてくる気配がする。 大木でさえ楽に押し広げて進むその存在がとてつもない力を持っているのは間違いない。

 一同は蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ去った。 あまりにも恐ろしすぎた。 役人は配下の者に指示をする余裕もなかった。 猟師たちも自分の鉄砲をかまえる勇気さえ起こらなかった。

 それから二回ほど、数十人で山に登ってみたが同じ目にあい、命からがら村に逃げ帰ってきた。

 この時代、何か分からないモノを見て武士が逃げたと知られたら切腹は間違いない。 それで村役人たちは領主に報告できず、結局、霊山で木を伐採する話はうやむやになってしまった。

 しかし江戸で家を焼かれた人々が困っているのも事実。 村人達は他の山で前年より多くの木を切り、江戸の商人に売り渡した。

 一方、山から逃げ戻った伝衛門は数日後には元気になっていたが、一日中ぼんやりして、ただ人々の姿を見つめていた。

 さて、それから二年の後、数十年に一度という大雨が降り川が氾濫し、洪水で多くの田畑が流されてしまった。

 しかし木を切らなかった場所だけは山の木の根が雨水を湛え、川が溢れることはなかった。

 村人達はあの巨大な姫様は、この大雨のことを人々に伝えたかったのではないかと考えたのだが、いまさらどうしようもない。

 人々は山の神を祀る神社に集まり供物をささげたがなおも雨は降り続く。 このままでは、もっと多くの田畑が水につかるだろう。

 この時、伝衛門は家族を集めこう告げた。
「御山に行って木を切り過ぎた事を山姫様にお詫びしてくる」

 齢七十歳の伝衛門は何かを悟ったかのように清らかな顔だった。 そして家人が止めるのを聞かず、老人は御神酒を持ち雨の中ただ一人で山奥へと入っていった。

 いつも伝衛門を慕っていた従者が後を追ったが、すぐに主人の姿は見えなくなった。

 翌日、雨がやみ村は最悪の被害から免れた。

 人々は伝衛門の姿を探したが、もう彼は何処にもいなかった。 ただ山奥の沢の水辺に伝衛門の草履だけが浮いていた。

 村人たちは伝衛門が村を助けるために山に登りその身を犠牲にしたのだと考え、彼のために塚を作りその霊を弔った。

 伝衛門の家族は彼の残した金で米を買い、田畑を流された人々にそれを配った。 その姿を見た他の材木商たちも同じ事をした。

 これより十数年後、伝衛門の孫はその才能を領主に認められ、農民であるにも関わらず山林奉行に任ぜられた。

 彼は木の伐採を続けながらも植林を奨励し、よく山を守った。

 その後、巨大な姫様が山に現れることは二度となかったという。


《 神仙奇談の書 山の怪異 巨大姫様の住む山 》 終わり


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