マチスンの主題による変奏曲第3番 中編
(十八センチメートルの頃に)


CLH 作
笛地静恵  訳


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 ドアが閉まり「家」の玄関ホールを歩く、ハイヒールの靴音がした。


 スコットには、それがルイーズのものであることが、すぐに分かった。
しかし、今頃、「家」の中で何をしているのだろうか。 パーティは、まだ始まったばかりだ。
仕事場の外の平原から、彼女の声が反響しながら伝わって来た。

「私よ。 スコット。 すぐに、そっちに行くわね」
 彼女が「家」のキッチンの方に移動していく振動を、足元に感じていた。
自分のキッチンのテーブルの上の、クッキーの滓を指先に摘んで、ビニールの袋に入れた。
玄関のポーチに急いで出た。


「ただいま。ダーリン(あなた)」
 妙にはしゃいだ声で、ルイーズはそう言った。



 大きな方の「家」のリビングのドアに、背中をもたせかけて立っていた。
美しい立ち姿だった。

 両手を、後ろに隠している。 ハイヒールを足から、蹴るようにして脱ぎ捨てている。
こんなに離れていても、その落下の衝撃が、ズズンと二回、感じられた。


「ルイーズ、こんなに早く、帰ってくるなんて。 何かあったのか」
 なにしろ彼女は、「縮みゆく人間」の妻なのだ。 不愉快なことがあったのだろうか。

「……おもしろくなかった、だけよ……」
 彼女は、ドールハウスの、彼にとっては数メートル手前で、
タイトスカートから出た両膝を、
ズズンと音を立ててカーペットの平原に突いた。 
すごい衝撃だった。

 ベスへの、彼の家から一メートル以内では、静かに動くという注意を、自分から破っていた。
彼女にとっては、数十センチのところだろう。
酔っているようだった。 動作に、いつものきれと繊細さがなかった。

 それでも右手に、ワインの入ったグラスを中身をこぼさずに持っていた。
スコットがいるポーチと、正面から向かい合うようにして座った。
グラスを床に置いた。 ベージュのカーペットに赤い影が揺れた。

 左手には、赤いぐるぐると巻かれたような、クリスマス・キャンドルを持っていた。
スコットの身長の一、五倍の長さがあった。
それをラップトップ・コンピュータの上に立てると、ライターで火を点けた。


「私、あなたのことばかり考えていたの。
今夜は、自分がどれぐらいあなたと一緒にいたいと考えているのか、あらためて分かったわ。
パーティは、全然楽しくなかった。 そこにいる理由は、何もなかったの」
 彼女は、うつぶせになっていった。 お腹を床に付けた。

 今度も素早い動作で遠慮がなかった。
それから、背骨を伸ばすようにして、上半身をそらした。

 カシミヤが
大きく盛り上がった。
両肘を、ポーチの彼のことを、左右から挟むような位置に付けていた。

「そんなことよりも、あなたにお土産があるのよ」
 彼女は、秘密めかしてそういった。



「もっと近くによって、よく見てご覧なさいな」
 彼は玄関のポーチを下りて、何歩か彼女の方に歩いていった。
彼女は閉じたままの手を、彼の頭上三メートルぐらいの位置にかざしていた。

「これが何だか、あててみて」
 指の隙間から、緑の枝の先が、ちらりとのぞいていた。

「ヤドリギじゃないか」
 彼は上空を見上げながら、驚いていた。

「そうよ。それじゃ、今、自分がどこにいるか、分かったでしょ」
 クリスマスの日には、その下にいる異性には、だれにでもキスしていいのだった。
彼女は、彼の身体を、背中からもう一方の手で包むようにすると、さらに身を屈めてきた。

 ルイーズの息のおこす風には、酒の香がした。
彼の額から唾が滴るほどの、
熱烈なキスだった。

 それから、上下の唇をきつく結んで、両の頬に一回ずつ、同じようにしていった。 顎にもした。
それぞれのキスは、彼にとっては、顔と頭の皮膚を、同時に吸い込まれそうな、強力なものだった。

 思わず微笑しながら、キスを返していった。 彼女の上と下の唇の端から端まで、
自分は上下の唇を合わせながら、全長にわたって舌を滑らせていった。

 ふくよかな皮膚の粘膜の柔らかさを、舌で入念に味わっていた。
息に、ワインの匂いを嗅いでいた。


「フムムムムムっ、すてき」
 つぶやくような声だった。
彼の全身を見ようとして、さらに背骨を反らせていた。そして、くすくすと笑いだしていた。

「私、あなたの顔に、口紅を塗りたくちゃったみたいね。
もっとキスをしていたら、インディアンみたいになっちゃうわ」

「ねえ、やってみようか?」
 スコットは爪先立ちになると、上半身をそらせて、彼女の顎の先端にキスをした。
彼女は、前よりも濃厚なキスを返してきた。顎の下から首筋にまでしていった。

「いいのかしら?」
 夫婦だけに通じるサインだった。 彼女は片手を近付けて、それだけを言った。

 彼はうなずいた。 ルイーズに持ち上げられている間に、
スコットは、自分のノートのある記述について、無意識に推敲していた。


                 *


「私は、いつも、人間の掌に持ち上げられているときの、自分の異様な感覚について、
充分に表現し切れていないという、もどかしい思いを拭いきれないでいるのです。
実際の動きとしては、皆さんの想像のように、電話工事の技術者が、ゴンドラに乗せられて
上昇していくのと、似ているかも知れません。

 しかし、実際に巨大な指に抱かれているということは、そのような機械的に制御されている動き
とは、全く異質なものなのです。 言葉にするのは、困難な情況です。
 恐怖の感情が、根底にあります。

 しかし、その上には、それと同じぐらいに強固な、安全に守られているという、認識の層があります。
手の指全体が、その間、私のことを、きつく握り締めている、というのではないのです。
もし、そうなら、私は全身打撲と、複雑骨折の巣となって、とうてい生きていないでしょう。

 むしろ、
巨大な五本の腕で、ずっと優しく抱擁されているというと、事実により近いでしょうか。

 少なくとも、ルイーズとベスの二人は、この技術を練習して、熟達の域に達しています。
この行為については、細心の注意を払いつつ、私の気難しい要求にも、完全に答えられるように
なっています」


                 *


 その間に、目的地についていた。 彼女は、自制心を取り戻していた。
ゆっくりとした着実な動きで、それが分かった。

 横座りをしていた。 
長い脚が尻のしたにあった。
ルイーズの、右頬の近くの高さにまで持ち上げられていた。 地上五メートルの高さである。


                 *


「私のような小人に対するときの、人間の行動の一番大きな勘違いの原因は、
彼女にとっての五十センチは、彼にとっての五メートルになるのだという尺度の相違を、
認識しないことから来るのだと思います。

 他ならぬルイーズでさえ、始めはそうだったのです。
この距離を一秒で持ち上げられては、めまいがしてしまいます。
本当に加速度か、気圧の違いからか、あの時は、耳がキーンとして鼓膜がおかしくなっていました。

 だから、あなたにとっては、手を床から、顔に上げるだけの単純な動作に、
エレベーターが、ビルの三階に昇るぐらいの、たっぷりと二十まで数えるぐらいの時間を掛けて、
一定の速度で、上昇しなければならないのです。
小人と付き合うには、忍耐力が必要とされるのです」


                 *


 彼が、ノートの文章を反省している間にも、彼女にとっては軽いタッチでだが、
鼻の先端が彼の顔を愛撫してくれていた。

「私は、淋しかったわ……。長い間……、とても、淋しかったの……」
 そう呟いていた。 スコットは、ルイーズの鼻の先端に、キスをした。
それから、右の瞳を見上げてこういった。

「もう少し、今夜のパーティーのことを、話してくれないかな」
 左の瞳は、鼻筋の向こうで見えなかった。 まつげだけが五、六センチの長さに伸びていた。
それが、ばさばさと風を起こすように、何回かまたたいた。 

「あなたの、クリスマスの七つの願い事は、なにかしら」  
 彼女は、意識的に話題を逸らすようにして、そうささやいた。

 スコットも、それ以上の追求は、やめにした。
この夫婦にはクリスマスにお互いの願い事を七つ言い合う習慣があった。


 彼は手を下にして、赤と金の雲に覆われた、眼下の新緑の斜面を指し示した。
掌のゴンドラに乗せられたままで、右側の乳房のところにまで、下降していった。

 やわらかな草色のスロープに沿って、両手を激しく擦り付けるようにしていった。
今の彼の目には、ざっくりとした粗い網の目が、はっきりと見えていた。

 カシミヤの糸の一本一本の繊細な感触を、掌に感じていた。
表面の微細なけばを、より煽り立てるようにしていった。

 上半身の体重を掛けて、抱擁するようにしていった。
右の巨大な乳房を、出来るかぎりの力で全身で抱き締めるようにしていった。

 量感と弾力は圧倒的で、彼の両腕の渾身のちからを、がっぷりと受けとめて、揺るがなかった。
内部の血管の脈動が、感じられた。 彼は戦うよりも、憩うことにした。

 ここは、暖かな草原だった。 出掛けるときには、きつすぎた香水も、
今では、彼女の体臭と程よく溶け合い、ふんわりとした春の芳香を漂わせていた。


「覚えているかしら、あなた。
私が、このセーターを着ていると、いつもそうして抱いてくれたわ……」

 彼は、セーターの下のレースのブラジャーの、編目模様まで、指先にくっきりと感じることが出来た。
乳房の山を包む、ブラジャーの輪郭を、両手と顔の皮膚に、直接に感じていた。

 
手は再び次第に荒々しく、揉み解すようになっていった。
乳首のある位置にまで来ると、そこを激しく、握り締めるようにしていった。

 乳首の周囲に沿って、顔を回転させるようにしながら、鼻面を前後左右に押し当てて行った。
乳輪は、周囲よりもさらに、柔らかかった。

 乳首が、その柔らかい肉の内部から、勃起してくるのが分かった。
彼の拳骨と、同じぐらいの大きさに、なってきていた。
二枚の生地を透かしても、その存在を誇らかに主張するようだった。

 妻の敏感な肉体の、明らかな反応を見ながら、彼は、自分が号泣していることに、気が付いた。
さらに情熱的に、自分の頭を妻の胸に押しつけていった。

 誰に構うこともなく、泣いていた。 妻の名前を、何度も何度も呼んでいた。

 彼は妻が、鼻に息を吸い込む、鋭い音を聞いた。
彼女もまた、啜り泣いていることを知ったのである。

 自分の頭を、妻の胸元から持ち上げた。片手で、もう一度乳首の周囲を撫で回した。
そして、突然、自分の涙が一転して、クスクスという笑いに変化したことを悟っていた。

 ほとんど一瞬にして、感情の流れが逆転していた。 大きく声をあげて笑っていた。
ルイーズの親指にしがみつきながら、自分が、今度は、さっきよりもぐいっと急速に、
加速度がついて持ち上げられるのを、感じていた。


「あなた……、大丈夫……」
 彼女が、そう心配そうに尋ねてきた。大粒の涙が、何粒も、頬を伝わって流れ落ちていた。

「ぼくは、大丈夫だ。ヒステリーをおこしたわけじゃないんだ。 安心していいよ」
 彼は荒い息をつきながら、かろうじてそう答えた。

 息遣いがようやく納まると、彼女の顔を見上げながら、こう言った。
「ぼくたちは、まだ、ぼくたちなんだ。分かるだろ。 何も変わっちゃいないんだ。
ぼくは、ぼくで、君は君だ。 ぼくは、そのことをずっと忘れていた。
そして、今、やっとそれを、また思い出せた。 君に感謝するよ。 サンキュー」

 そして、
彼は両腕を、妻を抱き締めようとするように大きく開いた。
ルイーズが、手のゴンドラを右頬にもっと垂直に移動して近付けてくれた。

 それで、右の瞳から溢れたばかりの涙に、キスすることが出来た。
一滴を、口に含んだ。 塩味がする水の塊を、ごくりと喉に飲み込むことが出来た。

 それから、左の頬にも、水平に移動してくれた。
左の涙にも同じようにするのに、かろうじて間に合った。


「ぼくの服は、君の涙でびっしょりと濡れちゃったよ」
 おどけてそう言った。

「そうね。それなら、私にも、お手伝いできることがあるわ」
 彼女は、滑らかな動きで、彼の赤いゴルフ用のTシャツの裾を、指先に摘むと、上に持ち上げた。
そして、同じように何の障害もなく、白いバミューダ・パンツを脱がせた。

 
何の苦もなく素裸にされたことで、彼は自分が、なんと無力で頼りない存在に
なってしまったのかということを、再び実感していた。

 裸にされるのが、大嫌いだった。
止むを得ぬ事故で雨の日に、兄嫁のテレーズの世話になった時も、羞恥に苛まれていた。

 あの時でさえ、今の二倍の身体だった。しかし、今夜ここにいるのはルイーズだ。
だから、何の心配もいらないのだった。


「少し、そこで待っていてちょうだい」
 彼女は、手の平をタイトスカートの上に下ろした。

 彼は、掌のゴンドラから飛び降りた。 スカートの生地は、帆布のように厚かった。
その下にある、太股の鋼鉄のような筋肉の固さをスコットは、足首に感じた。

 スカートの生地は、横座りで膨らんだ太股の内側からの圧力で、左右にぱんぱんに
張り切っていた。 その中央に頭をルイーズのお腹の方に向けて、仰向けになった。

 ここから見上げるセーターの胸の量感は、素晴らしいものだった。
高く張り出した山の影になって、彼女の美しい顔すら、全く見えなかった。

 彼女は、赤と金のスカーフを外すと、床に魔法の絨毯のように広げた。
頭から、カシミヤのセーターを、ゆっくりと脱ぐのを、観賞していた。

 衣擦れの音が、なぜか豪雨のように、ざあざあと聞こえた。
スコットは、髪が逆立つようだった。 静電気が発生しているのだ。

 風とともに、彼女の香水と混合された体臭が、ふわりと吹き下ろしてきた。
体温が感じられる暖かい空気だった。セーターを、スカーフの上にたたんで乗せた。

 スカートは、嵐の海の船の甲板のように揺れていた。
ブラジャーに包まれた乳房が、それにつれて揺れた。胸の谷間に白い顎の下が見えた。


 
彼女は、その向こうから彼を笑顔で見下ろしていた。

 背中に長い長い腕を回すと、音を立てて金具を外した。
同時にブラのカップが、寝転んでいる彼の頭上に、音を立てて落下してきた。
慌てて飛び起きて、下敷きになるのを防いだ。

 スカートの上で足を滑らせて、両膝の間の隙間に落ちそうになっていた。
彼女は、くすくすと笑っていた。 それに合わせて乳首が踊っていた。

 乳房は、暗い量感のある
二つの惑星のように、頭上で重々しくゆらゆらと浮いていた。

 深い緑のレースのブラジャーを、彼のフランスの荘園風の家の屋根に、二つの煙突のそれぞれを、
左右のカップで覆うようにして、形を整えて掛けた。

 二階の正面を向いた寝室と、その隣の窓は、ほとんど完全にカップの縁で、隠れていた。

「どうかしら。このクリスマスの飾り付けは?」

「いいね」
 彼は、両手を胸に組んで、批評家のように重々しくうなずいた。

「でも、ベスが帰ってくる前に、この飾り付けは、外さなくちゃ、ならないな」

 彼女は、椀の形にした両手の中に、彼を掬い上げた。
空とぶ船のように、胸の前を、ゆっくりと上昇していく。
素肌に触れる彼女の手は、しっとりと汗ばんでいた。意識がノートに漂っていく。


                 *


「どう表現していいか、分からないのですが、人間の手というものは、様々な匂いがしているのです。
生活の中で触れたものから、匂いを受けて千変万化な状況になります。
これを、それを体験していない普通の人間に、どう表現すれば良いのでしょうか。

 試みに、あなたの指先を鼻に付けて、じっくりと匂いを嗅いでみてください。
けして、不愉快ではありませんよね。 しかも、それは、あなただけのものなのです。

 ベスもルイーズも異なっています。彼女だけの、ものなのです。
明らかに個人差があります。  人間の指を舐める犬は、この事実を知っているのでしょう」


                 *


 そんな文章を考えながら、彼は素肌を腰から、彼女の左の乳房に押しつけていった。
股間に強い抵抗感があった。

 左手で、彼を落ちないように、そこに当てるようにしながら、彼女は右手で、床から、
ワイン・グラスを口元に持ち上げた。 
そして、一口ごくりと含んだ。

 ほほ笑みながら小首を傾けると、左の唇の端から、ほんの少しずつ赤ワインを吐き出すように
していった。 それは、顎から首筋、胸の谷間へと、一筋の赤い流れとなって下ってきた。


 ルイーズの、青い静脈が透けて見えるような透明感のある白い肌に、美しく映えた。
さらに左肩の鎖骨のくぼみに、ワイン・グラスを傾けた。

 彼のいる、左の乳房の上を、流れるようにさせていった。
彼には乳首を、口に含むことは出来なかった。

 
大きくて完熟したグレープ・フルーツの実のようだった。

 自分の拳骨を、頬張るようなものだったから。
しかし、乳首から滴るワインを、舌を出して待ち構えていた。

 その先端で、ワインが大きな赤い宝石のような玉になるのを待っていた。
落ちる瞬間に、口で受けて飲み干した。

 塩味が、効いていた。そのまま、乳首に歯を立てた。
弾力のある肉が、それを押し返してきた。

 彼女がうなり声を上げた。 遠雷のとどろきにそっくりだった。

「たぶん、君は、残りの服も脱いじゃった方が、いいと思うよ」
 ワインは、白い腹の臍の穴に溜まり、さらにそこから、下腹部に溢れだそうとしていた。


 彼女は、左胸にはりついたような彼を、不思議ないたずらっぽい目付きで、見下ろしていた。
「あなたが、二番目の願い事をしてくれれば、そうなります。
ご主人さま。 ジェニー(精霊)は、今宵は、あなたさまの七つの願い事を、
すべて聞いてさしあげます」


「それは、ぼくの願い事のリストの、一行目に書いてあることなんだがなあ」
 彼女は、今度は、彼を直接に床の上に下ろした。
そして、十数えながら、真っすぐに、ゆっくりと立ち上がった。

 スコットが、教えた通りだ。 脅威を与えないためである。
そのせいで、スコットは安心して妻をゆっくりと観賞できた。

 しかし、恐怖を覚えないといっては、嘘になる。
巨人族の女のようだったから。


 頭上に、聳えるように立っていた。
キャンドルの光と、ホールからの柔らかな反射光に照らされていた。



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マチスンの主題による変奏曲第3番(十八センチメートルの頃に) 中編 (了)




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